新4年生の春季講習始まる
新4年生の春季講習が始まりました。その直前に姉丸は、「私塾やめる!(私、塾やめる!塾をやめると言い出した姉丸だが、誰のための中学受験なのか!?)」と言い出していたため、母丸、父丸ともに前途多難な春季講習が始まると思っていました。
しかし、予想とは大きく異なり素直に塾通いを続けていました。むしろ塾終わりに友達と遊んで帰ることが、塾へ行くことへの楽しみへとなっていました。
勉強のほうはというと
といった具合で、前より少しましになった程度でした。
また、春季講習が始まった当初、姉丸と母丸の間で会話以下のようなものでした。
次の日、春季講習の授業が午前で終わり、13時過ぎた頃に姉丸から電話がありました。
母丸と父丸はこの春休みを使ってなんとか姉丸の勉強を軌道に乗せたいと春季講習が始まる前は考えていましたが、「私塾やめる!(私、塾やめる!塾をやめると言い出した姉丸だが、誰のための中学受験なのか!?)」と言い出していたため、あまり無理はさせない方針としていました。
姉丸の春季講習の1日
姉丸の春季講習がある1日は概ね以下のよう流れとなっていました。
朝は、7時半に起床し朝ごはんを食べた後に計算問題を行うようにしました。その後塾へ移動し9時くらいから春季講習が開始されます。教科は算数、理科の組み合わせと国語と社会の組み合わせが毎日交互に行われていました。12時まで春季講習をした後に、持参したお弁当を30分ほどで食べて、12時半くらいから自習をしていたそうです。ここに関しては親が見ていたわけではないので、姉丸へのヒアリングに基づくものとなります。その後、13時半~14時の間に自習が終了し、友達と帰りながら遅くても16時くらいには帰宅していました。
帰宅後、少しお菓子を食べてたりという時間を作り、17時以降は塾以外の英語等の習い事あればそれに向かい(週のうち3日は英語とその他の習い事で埋まっていました)、夕食及びお風呂を済ませた後に寝るまでの間、勉強の時間を作るようにしていました。ただし、最終22時になると、基本的には勉強を終えるようにし、就寝時間を確保するようにしていました。
上記が基本的な流れとなりますが、勉強は予定通り進む日もあれば全くできないという日もありました。姉丸のモチベーションに応じて臨機応変に調整するようにしていました。
父丸の春季講習に対する感想
父丸としては、やるなら全力でやってほしいという希望はあったものの、春季講習の直前で、「私塾やめる!(私、塾やめる!塾をやめると言い出した姉丸だが、誰のための中学受験なのか!?)」と言い出していたので、姉丸の勉強に対しては様子の状態でした。あまりにモチベーションが低いようであれば、本気で中学受験をやめることも検討していました。
春季講習の姉丸の様子を見ていると、塾が嫌とも言わず毎日楽しく過ごしているようでした。春季講習が始まるまでは、勉強、勉強という状態(実際は勉強の時間ではなく、わからないと泣いている時間がほとんどでしたが…。)であまり遊びに行っていなかったのですが、春季講習の終了後、少し自習をしたのちに友達と遊んで帰れるというのが姉丸本人にとっては非常によかったようです。
ただし、春季講習は費用がかかるものの、「【中学受験】新4年生における春季講習は必要!?春季講習のメリット、デメリット」でも記載させていただきました通り、共働き夫婦にとって春休みは、長期休暇というかなり厄介な存在であり、親のいない時間、子供にどう過ごしてもらうか、お昼ご飯はどうするか、習い事にちゃんと行けるか等をクリアしていかなければならなかったため、少しモチベーションを戻すための時間として、無理はさせないようにしていました。
親としてはこの春休みになんとか、勉強を軌道に乗せたいと考えていたのですが、現実と理想のギャップは人生につきもので、現実と理想のギャップを埋めながら少しずつ前に進む必要があります。
ちなみに父丸の理想は時間で言うと春休みの間は、1日10時間くらいと考えていました。これは、公認会計士試験勉強時間はおよそ2500時間~3500時間をを目安と言われたりします。1年で換算すると概ね10時間~12時間程度となります。
これだけの量を勉強できるようになれば、現在までの学力差などいくらでも埋めることが可能と考えていたからです。
しかし、まだまだ未熟な小学生なので到底その時間までできるわけもなく、春季講習の授業時間を合わせて半分を達成できるかどうかという程度でした。
とはいえ、冷静に考えてみると遊びたい盛りの小学3年生又は小学4年生ぐらいの子が、長期休みに勉強をしているということ自体すごいことなので、そこについては姉丸を褒めてあげていました。
6年生の2月までまだ3年弱あるような状態ですので、長い目で見ることにしました。
しかし、現在の勉強嫌いが続くようであれば、どこかで中学受験を辞めるという選択も考えておかなければならないと考えた父丸でした。