中学受験指導本は誰を対象に記載しているのか?
「●●●●」に記載の通り、中学受験指導本には、「親は子供に勉強を教えるべきではない」と記載されているものの散見されました。
これに対して、「一部のお子さんには正しい意見で、大半のお子様には正しくないのでは!?」と考えています。
というのもの、お子様によってできることが違う、特に小学生は成長著しい時期でお子さんによって成長するスピードが大きく違うにもかかわらず、それらを考慮せずに一律に「親は子供に勉強を教えるべきではない」という主張することに疑問を感じていました。
そこで「親は子供に勉強を教えるべきではない」という主張が正しいのかを検証するため、「親が勉強を教えない場合のメリット・デメリット」について考えてみました。
まずは「親が勉強を教えない場合のメリット」には以下のようなものが挙げられるかと思います。
親が勉強を教えない場合のメリット
①子供の自主性を育むことができる
②自分で考える力つく
③自己責任能力が上昇する
「①子供の自主性を育むことができる」は、仮に子供が親に教わらずに自主的に勉強ができれば、子供は非常に自立心の高い子供になることと思います。
「②自分で考える力つく」は、仮に子供が親に教わらずに自分だけで問題を解いていければ、間違いなく自分で考える力がつくと思います。
「③自己責任能力が上昇する」は、勉強ができるもできないも本人次第であり、自己責任能力がつくというものです。
上記のようにメリットを上げると、「親は子供に勉強を教えるべきではない」という視点は一見素晴らしいく、正しいように感じられます。
では反対に、デメリットについても考えてみたいと思います。
親が勉強を教えない場合のデメリット
①勉強ができないお子さんの場合、最後まで成績があがらない可能性がある
②勉強が嫌いなる可能性がある
③勉強ができないことよりお子さん自身が自信を失う可能性がある
「①勉強ができないお子さんの場合、最後まで成績があがらない可能性がある」は、「親は子供に勉強を教えない」ことを前提とした場合、勉強ができるできないも、結局のところ100%子供能力に頼ることとなります。このためお子様の勉強うまくいけばいいのですが、うまくいかなかった場合、成績は上がらず終わる可能性があります。
「②勉強が嫌いなる可能性がある」は、①とも関連するのですが、勉強好きの一部の神童を除いて勉強好きという子はいないのではないでしょうか。偏見かもしれませんが、たぶん普通の子で勉強好きという言っている子はほぼいないと思っています。
ただ、勉強を好きにならなくても、嫌いにならないための要素として「テストの点数が取れる」ということが挙げられると思います。点数は取れないより取れた時のほうが達成感を味合うことができ、やる気も持続しやすいです。一方で、①の通り成績が上がらないような場合、モチベーションは徐々に下がっていき、最終的には勉強嫌いなる可能性があります。我が家でも通塾当初は、テストの点数が取れなくてやる気を失くしていくという悪循環が起きていました(いきなりピンチ!?終わらない塾の宿題!泣きながらの中学受験宿題対応!)。
「③勉強ができないことよりお子さん自身が自信を失う可能性がある」は、中学受験だけでの問題でなくその後にも影響与える可能性がある事項であり、かなりやっかい問題です。もちろん「③勉強ができないことよりお子さん自身が自信を失う可能性がある」という状況を短期で解消可能であれば、むしろその失敗の経験が人生の糧となり、またお子様の経験として残っていくかと思いますが、長い人生を考えときにマイナスとして作用する可能性があります。
また余談となりますが、中学受験は4年生から始まり6年生の受験終了までに集団塾でさえ300万円以上かかると言われています。そのような金額がかかっているのに「親は子供に勉強を教えるべきではない」という精神のもと我慢できますでしょうか。まして我が子の将来が変わってしまうというリスクも含んでいます。そのような状況では「親は子供に勉強を教えるべきではない」という言いつけに従うことをはおそらく難しい選択なのではと考えております。なお、「親が子供に勉強を教える」という選択をした場合、親も本気で勉強する必要があることは覚悟していただければと思います。
あるいは、さらに個別指導や家庭教師を追加するといった方法考えられると思います。
上記の通り、「親は子供に勉強を教えるべきではない」ということのメリットデメリットを考えみました。我が家の場合は、デメリットのほうが圧倒的に大きく作用していたというか、親が支えないととてもじゃないが、勉強が進むような状況にはありませんでした。
では、なぜ中学指導本と現実の対応にはこんなにも乖離が生じでしまうのでしょうか?
中学受験指導本の問題点
上記の通り、中学受験の指導本において、「親は子供に勉強を教えるべきではない」と書かれているものありますが、理想と現実に大きな乖離があります。
ちなみに父丸は、中学受験を経験していないため、中学受験がどういったものか全く知らないですし、母丸の経験談を聞いてもあまりイメージはわきませんでした。
そんな全くイメージがわかんない中学受験でしたが、以下の漫画から入りました。おそらくこの漫画内で描かれている塾の下位のクラスの子の描写が現実なのだと思います。
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「親は子供に勉強を教えるべき」という考えは、中学受験指導本に記載されているものとは、ある意味反対の意見となります。ではなぜ中学受験指導本において「親は子供に勉強を教えるべきではない」というような話が出てくるのでしょうか。
それは、中学受験の著書を書いている方に以下のような視点が考慮していないあるいは省いていることが想像されます。
中学受験の著書を書いている方に以下のような視点に欠落しているもの
①優秀な子を想定して記載していること
②家庭内での子供の状態を見ていないこと
③成績が悪い子は切り捨てていること
1つ目の「優秀な子を想定していること」という点ですが、中学受験ではこのように勉強すべき的な指導本は、御三家といった優秀な子供達が他の子供達とどう違うのかという点に焦点をあてて記載することが多いため、優秀な子の勉強態度や行動に基づき記載しています。しかし、勉強ができるというのは、サッカーが得意とか、野球が得意、テニスが得意、ダンスが得意と同じであり、得意、不得意があります。この御三家に入る子なかにも種類がいて、たいして勉強しなくても模試で1位を取るような子もいれば、凄まじい努力の結果、模試で上位を取っている子もいます。左記は同じ御三家に入る子でも、そもそも種類が違います。さらに言うと凄まじい努力の結果、模試で上位で取っている子においても、勉強ができるという部類ではあることは間違いありません。では、勉強が得意でも不得意でもない普通の子が同じような方法を取ってうまくいくのでしょうか。それを検証した人はどこにでもいないのではないのでしょうか。そもそもそんなこと人道的にできません。
そんなことを考えていくと本来は偏差値ごとに段階を踏んだ指導書があってしかるべきではないかと考えておりますが、それでは著書としての話題性がないため発売されていないのかもしれません。
2つ目の「家庭内での子供の状態を見ていないこと」という点ですが、中学受験を指導している塾講師等はもちろんすべての家庭のなかを状況を把握しているわけではありません。十人の子供がいれば十の家庭環境が存在します。それぞれ子供の能力が違えば、家庭の指導方針も異なります。しかし、実際の著書等を記載する際は、それらについて考慮していません。仮に塾講師等の中学受験専任者にお子さんがいたとしても、それは1家庭を見ているに過ぎず、すべてを網羅はされていない状況となります。もちろん、すべてを把握することは不可能ですし、それをする必要はありませんが、やはり偏差値ごとに段階を踏んだ指導書があってしかるべきではないかと考えております。
3つ目の「成績が悪い子は切り捨てていること」という点ですが、指導本の多くは御三家等に受かったことを対象に記載していることが多いです。その要因は、御三家や難関校に受かったような勉強法を紹介したほうが、実績があるという点で説得力があり、またマーケティング的に集客できることによるもの考えられます。しかし、御三家や難関校に受かるような子は全体の少数派であり、大多数はそれ以外となります。本来はそのマジョリティ(多数派)に対して、あるいはお子さんの成績に合わせた段階的なアドバイスを記載すべきかと考えられるところ、それらが全て無視されている状態にあるため、理想と現実に大きな乖離が出てきているものと推察しています。
なお、上記は集団塾において全員をきめ細かく配慮することなど物理的に不可能であることから、そのような状況を陥ってもやむを得ないものであり、当該著書を書いている方のご見解を否定するものではないことを付言させていただきます。